History of "Tower of Power"


すみません!このページは表示されるまで時間がかかります。
しばらくお待ちを…。

- ACT 0 -
ここでは"Tower of Power"の歴史を
時代を追って紹介します。
彼らの今までの歴史は、だいたい以下の5つに大きく分けられると思います。
ACT 1 … バンド結成からデビュー!
ACT 2 … ワーナー移籍後の黄金時代
ACT 3 … 売れないコロンビア時代 
ACT 4 … 知られざるTOP冬の時代 
ACT 5 … エピック移籍から現在まで

浮き沈みはあるものの彼らを知る上で、それぞれに大切な時代でしょう。

それでは、早速紹介しましょう。

- ACT 1 -
バンド結成からデビュー!
1967年(一説には66年)
サックス奏者のエミリオ・カスティージョ(通称ミミ)のバンド「MOTOWNS」のギタリストが脱退し、フランク・プレスティア(通称ロッコ)をギタリストとして迎え入れた。
ミミによると…
「彼のギターときたら、聴いたことがないくらい下手くそだったんだ。でもその場でメンバーにする事に決めたんだよ。何と言ってもヘアスタイルがカッコ良かったからね」とのこと。
1968年
 テリー・サンダースというミュージックティーチャーの助言でロッコはベースに転じ、また当時、シスコで一番人気のあったR&Bグループ「リンダ・ティレリ&ローディング・ゾーン」のスティーブ・カプカが加わり、「Tower of Power」の前身ともいえる「MOTOWNS」のメンバーが定着した。

 その後「フィルモア」の火曜オーディションに臨むため、グループ名を「Tower of Power」に変更。オーディションを受けたところ、彼のビル・グラハムの前で再度演奏することが決まり、結局ビル・グラハムに大いに気に入られて契約。

1970年5月30日
記念すべきフィルモアでの初出演は、あの偉大なるミュージシャン「故ジミ・ヘンドリックス」の前座だった。
1970年?月
ビル・グラハムのサンフランシスコ・レーベルから「EAST BAY GREASE」でデビュー。
1971年3月
 アレサ・フランクリンのフィルモア・ウェスト出演の前座をつとめ、また「フィルモア最後の夜」にはサンタナやCCR等と共に出演した。

デビュー
デビュー当時のメンバー

1971年
 デビュー作「EAST BAY GREASE」をリリース。プロデューサーは後にハービー・ハンコックの「ヘッド・ハンターズ」などで名を上げたディヴィット・ルービソンだった。
 このデビュー作はローカルではヒットしたものの、全米規模ではやはりブレイクしなかった。ところがこのアルバムに、メジャーレーベルの「ワーナー」が目を付け、'71年〜2年にかけて彼らを引き抜きにかかった。
 一方、既に彼らの強力なブラスセクションの噂は早くも広がり、サンタナやジェファーソン、アリス・スチュアート、トム・フォガティ等多くのアーティストのレコーディングに参加している。
 

- ACT 2 -
ワーナー移籍後の黄金時代
1972年5月
 ワーナー移籍後、新たなレコーディングに向けてヴォーカルをリック・スティーブンスに、トランペットをミック・ジレットにチェンジし、第一弾「BUMP CITY」をリリース(日本では'72年9月発売)する。
 不朽の名作「You're Still a Young Man」(シングルカットされスマッシュヒットとなる)を含むこのアルバムで、彼らの評価が確立された。
 「...Young Man」の録音にあたっては、わざわざテネシー州メンフィスにロン・カポネを訪ね、彼のプロデュースもとに録音された。ちなみに、このアルバムのミックス・エンジニアは、スティーブ・クロッパーとロン・カポネが担当している。

 「BUMP CITY」のヒットで気を良くした彼らは、大幅なメンバー・チェンジを行ない、レニー・ウィリアムス(Vo)、レニー・ピケット(Sax)、ブルース・コンテ(G)、チェスター・トンプソン(Key)というミュージシャンを新たに迎えた。

1973年
 彼らの通算3枚目のアルバム「TOWER OF POWER」をリリース。自らがプロデュースしたこのアルバムは、ビルボード誌で最高15位をマーク、全米で大ヒットとなった。

hi_2.gif
 当時のメンバー

1974年?月
 彼らのアルバム中最高傑作として名高い「BACK TO OAKLAND」がリリースされる。このアルバムは彼らの歴史上珍しく、前作との間にメンバーチェンジがない。だからこそ「最高傑作」と呼ばれるのかもしれない。前作同様自らがプロデュースしたこのアルバムは、ビルボード誌で最高26位をマーク、またしても全米で大ヒットとなった。
1974年11月
タワー・オブ・パワー待望の初来日。開演前にアニメを上演する奇抜さだった。
1974年12月
 通算5枚目のアルバム「URBAN RENEWAL」をリリース。メンバーは前作とほぼ同じだが、オリジナルメンバーで名ドラマーのティヴィット・ガリバルディがドラムスクール設立(バーナード・パーディと共に)にあたり、1曲のみの参加にとどまっている。
1975年?月
 通算6枚目のアルバム「IN THE SLOT」をリリース。このアルバムでは、ヴォーカルのレニー・ウィリアムスヒューバート・タブスに、また一時休奏していたティヴィット・ガリバルディが再びメンバーに戻った。
1975年9月
タワー・オブ・パワー2度目の初来日。ドラマーはロン・ベックが来日。
1975年9月
 通算7枚目でライヴ・アルバム「LIVE & IN LIVING COLOR」をリリース。'74年に録音されたこのアルバムは前作「IN THE SLOT」と同メンバー。

 彼らはこのアルバム発表後、慣れ親しんだワーナー・ブラザースを離れてしまう。

 

- ACT 3 -
売れないコロンビア時代
1976年
 ワーナー・ブラザースからコロンビア・ソニーに移籍。通算8枚目のアルバム「AIN'T NOTHIN' STOPPIN' US NOW」(邦題-夜の賭博師)をリリース。なぜか、サウンドが軽くなってしまった。
 ドラムスがロニー・ベックに変わってしまったからなのか、それともエドワード・マクギーの声域のせいなのか? 彼は顔に似合わず(?)ファルセットを多用する。
1978年
 通算9枚目のアルバム「WE CAME TO PLAY!」(邦題-オークランド・スタジアム)がコロンビア・ソニーからリリースされた。
 このアルバムでは、リズムセクションの要だったロッコからヴィクター・コンテに、またヴォーカルもマイケル・ジェフリーズに変わっている。
 ホーンセクションのアンサンブルなどは随分と新しい試みをしているのだが、音の新しさを追求するあまり、曲によっては当時流行していたディスコサウンドに少々傾向してしまった嫌いがある。さらにこのアルバムではセルフ・プロデュースをやめ、ブッカーT&MGsのスティーブ・クロッパーがプロデュースしている。そのせいか、残念ながら突っ走る彼らの勢いがあまり感じられない。
1979年
 通算10枚目の記念アルバム「BACK ON THE STREETS」をソニーからリリースした。
 このアルバムは前作よりさらにディスコサウンドに傾向。ちなみにプロデュースはマッキンレイ・ジャクソンとリチャード・エヴァンスを曲ごとに起用している。

 ところが、このアルバムの売り上げが不調のため、ソニーとの契約更新が出来ず、とうとう彼らにとって冬とも言える時代が到来してしまう。

 

- ACT 4 -
知られざるTOP冬の時代
1981年6月22〜24日
 カリフォルニア州サンタ・バーバラに本拠を置く音質優先のレコード会社「シェフィールド・ラボ」のためにダイレクト・ディスクを録音。同年「DIRECT」としてリリースした。
1981年
 フュージョン・レコードより「シンプル・アズ・ザット」という12インチシングルを発売。この曲はヒューイルイス&ザ・ニュースがアルバム「フォア!」の最後に取り上げ、シングルでもヒットした。
1983年
 タワー・オブ・パワー脱退後ニューヨークに移り住んだレニー・ピケットが、デヴィット・ボウイのバックとして来日。
1985年12月
 ヒューイルイス&ザ・ニュースの来日に5人のタワー・ホーンズが同行。武道館では「…ヤングマン」が演奏された。
1986年
 沈黙を破って、突然イギリスのエドゼルというレーベルから「WHAT IS HIP?」がリリースされた。
 しかし、このアルバムはニューアルバムではなく、彼らの3作目から6作目までのワーナー時代の曲を集めたベストアルバムだった。

 同年、スウェーデンの「グラモフォン」から「TOP」がリリースされた。このアルバムは翌年サイプレス・レーベルからリリースされる「POWER」と曲はほぼ同じ。
 どのような経緯で「グラモフォン」から発売されたかは不明。

1987年7月
 ヒューイルイス&ザ・ニュースの再来日に再び5人のタワー・ホーンズが同行。
1987年
 前述のサイプレス・レーベルから「POWER」がリリースされた。
 

- ACT 5 -
エピック移籍から現在まで
制作中! 随時追加してまいります。
 

"Tower of Power" Home


top.gif go-back.gif