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| 先の「ブルースバンド」に遅れること約1年、私は別のロックバンドを結成しました。
まずは、ギタリストのK原くんと知り合うことになるのですが、彼を紹介してくれたのは、他ならぬ前出のK添さんだったのです。 「F志に、おまえと同じくらい背がデカいギタリストが居るけど…」K添さんは当時、自分が在学していたT原高校に居るよりも、F志高校に居る方が「長い」と言われるほど、特異?な高校生活を送っていた方で、下手なF志生よりF志を熟知していました。しかも、こと音楽を演っている人間を探し当てる彼の「嗅覚」は、常人のソレとは比べ物にならないほど優れていましたから、難なく探し当てたK原くんを 「会ってみる? 案外、気が合うかもな?」 「そのかわり、一筋縄じゃ行かないだろうけど…」 K原くんが当時下宿していたF志高校近くの下宿先まで2人して出向き、その場で紹介されたのですが、そこは、その後私が住むことになるアパート?とは「雲泥の差」もある…ほど清潔で、大勢の下宿生たちが暮らす明るい雰囲気の下宿でした。 初対面でありながら、K原くんとは、何かこう…ウマが合った…とでも言いましょうか、音楽話に花が咲き、ずいぶんと長居してしまった覚えがあります。ただ、K原くんは当初、こっそりギターは弾いていたものの、バンド結成については、それほど執着がありませんでした。 K添さんに言われた通り、そんなK原くんを、一時期にせよ「悪い音楽の道」に誘うのは、なかなか困難を極めました。当時、音楽はクラシックとかでない限り、世間一般からは相手にもされず、ましてや、ロックなど「不良が演る音楽」と決めつけられていた時代ですから。 そんな彼の気持ちを変えるため、
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| ▲▼F志高「蜻蛉祭」での演奏の模様。下の写真は上部が剥がれてしまいました。 |
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このLSDも高校生バンド特有の学園祭向けバンドでした。ありがたい事に、当時バンドで学園祭に出演する事が、公認…と云う訳にはいきませんが、何となく「黙認」されていたので、F志高校の学園祭「蜻蛉祭」と我がMヶ丘高校の学園祭「双蝶祭」の両方に出演が叶いました。
蜻蛉祭では、F志高東南隅の野外で約40分ほどの演奏をしましたが、観客はまばらで、その所為か伸び伸び演奏が出来たようです(右の2枚の写真参考)。
また双蝶祭では、超満員?となった教室で同じ40分ほどの演奏を行いました。こちらは、ヴォーカルのTくんの知り合いが「松本レコーディングセンター」に居たとかで、何とライヴレコーディングが行われてしまいました。…その所為か、満員の観客も相まって、演奏はどことなくギコチなく、間違いも多かったような(苦笑)。
演奏した曲はどちらの学園祭も同じ曲目で、ユーライアヒープの「July Morning」やレッドツェッペリンの「Since I've Been Loving You」等々、当時人気のあったロックバンドの曲ばかりでした。
※ところで、このユーライアヒープ、まだ活動続けていたんですね。
そんなライヴを収録したレコードが完成したのは…かなり待った…覚えがありますから、ライヴ後2〜3ヶ月経ってからの事だったと思います。
アルミ盤にプラスチックの皮膜を被せ、そこに1枚1枚「ほぼ原盤に近い」制作行程で作られたSP盤サイズのそれは、持ってみるとズッシリ重く、それ故(でもないのでしょうが)1枚5,000円と当時の高校生にとって超高価な記念レコードでした。
ところが、左写真を見てもお判りになると思いますが、超高価なわりには、ジャケットが結婚記念さながらのケバケバしい金色に「記念樹」の黒文字…と、到底ジャケットと呼べるような代物ではありませんでした。
しかも極めつけは、レコードの回転数が33+1/3回転ではなく、単に33回転だった事です。おかげで、普通のターンテーブルに乗せて聴いてみると、ただでさえ高音域のTくんの声が、キンキン声に聞こえてしまう有様でした。
そんなレコードを、最低ロットの10枚も売り捌かなければならない訳ですから、ずいぶんと奔走しました。結局、当時彼女だった今の妻と友人に無理矢理売り付けて事無きを得たのですが、そのおかげで、今私の手元には2枚のこの「記念樹」があったりします(苦笑)。
(2005.12/21)