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| 何故か私の場合、母校であるMヶ丘高校の生徒とバンドを組んだ事ありませんでした。…いや、あるにはあったのですが、練習を2度ほど行なっただけで、結局それっきりになってしまいました。 その後、母校生とはバンドを組む機会がなく、何故か、あの松本イチ頭の良い高校と言われていたF志高校の生徒と組むことが多かったのですが、そのF志高校には2人のK林くんがいました。 1人は前にご紹介した「EL&P」を演奏したキーボードプレーヤーのK林くんで、もう1人が、人前で演奏すると必ずギターを壊すギタリストのK林くんでした。 同じK林くんが2人もいると何とも紛らわしいので、これからキーボードプレーヤーのK林くんを「K林Y」くん、また、ギタリストのK林くんを「K林K」と呼ぶことにします。 この両K林くんたち、同じF志高校に通っていた同じK林でありながら、全く似通ったところが無い「不思議な2人」でした。 K林Yくんは、幼い頃からピアノを習い、前にも書きましたが…県のピアノコンテストで優勝だか準優勝したほどの、言わば音楽界のエリート…で、難解な曲も2回聴けば楽譜に落としてしまうほどの秀才でした。 ところが私は、あろう事か、そんなK林Kと友達になってしまったのでした(爆)。 彼と知り合ったのは、確か私が高校2年生の頃で、F志高校の学園祭で…でした。講堂だったか体育館だったかで演奏していた彼を、当時「一緒にバンドを組もう!」と意気投合したK原くんから紹介されたのでした。K原くんとのバンドは、まさに前頁に記載した「LSD」です。 この日(だったかは忘れてしまいましたが)、K林KのアパートをK原くんと共に訪れました。今となっては部屋の雰囲気など全く覚えていませんが、部屋の入口に革靴がいくつもあった…のだけは良く覚えています。 「帰りに好きな靴履いてって良いから」 「出掛ける時いつもサンダルなのに、帰って来ると革靴を履いてるんだぜ、K林Kは」 彼の部屋では、まず1本のテープを聴かされました。と言うか、このテープを聴かされた事しか覚えていません(笑)。音源は、当時流行っていたシカゴの「長い夜(だったか)」をライヴで演奏しているものだったのですが、ヘッドフォンで聴かされていると 「これ、僕がギター弾いてるんだ!」 「スゲ〜じゃん!」 銭湯や、その帰り道でもK林Kとは何度か出っ食わしましたっけ。彼とは案外住処が近かったので、同じ銭湯に通っていたようです。とは言え、K林Kの風呂嫌いは仲間内では有名で、時には1ヶ月近くも風呂に入らない事があったようで、風呂帰りに遭遇したのは、私くらいではないでしょうか? さて、K林Kの話はこれくらいにして、K林Yくんの話に移りましょう。 K林Yくんは、上にも述べたように、松本のクラシック界ではエリート路線をひた走っていたにもかかわらず、ロックも好んで演奏する特異稀な人物でしたから、そんな彼に、興味を持たない私ではありません。 「良いよ♪」 そこで出来たバンドが、バンド名があったかどうかも忘れてしまいましたが、メンバーは、ヴォーカル&ギターがO勝くん、キーボードがK林Yくん、ベースがK添さん、そしてドラムが私…といった夢のようなバンドだったのです。 練習は何処ぞ(井川城だったか?)の小さな公民館だか集会場を借りて、2〜3度ほど行い、そのまま人前で演奏してしまいました。その会場となったのは、前に「生バンド演奏」の項で紹介したスナック「花ことば」で、お客さんは少なかったものの、私は、演奏できる喜びに酔っていました。 ディープパープル…それは当時、高校生だった私にとって、ツェッペリン、ブラックサバス、サンタナ、さらにジェフベックやオールマン等と並ぶ、まさにロックの登竜門的なバンドでした。68年に発表された「ハッシュ」から聴き始め、中でも70年から相次いで発表された「In Rock」「Fireball」「Machine Head」の3枚は、私にとってロックのバイブルと言っても過言ではありません。 ・・話が逸れてしまいました。 その日の演奏曲「Lazy」でK林Kくんは、店内に置かれた何の変哲も無いエレクトーンを駆使して、ジョンロードの音を見事に再現してしまい、観客のみならず演奏者の度肝をも抜いてしまいました。中でも、寸分違わぬイントロとソロ部分は圧巻でした。 (2006.2/28) |